2月末にヤラカシタ左の足首の強烈な捻挫は、半年経ってようやく腫れが引き始める。更に春はアレルギー、夏は夏バテ、秋はソレを足して掛け合わせたような身体の波状的不調は、生き物が避けることの出来ない「老化」というヤツではないかと気付かされるこの頃である。
最近、メリパナイトランのことすら書き留めておけない。そんなこと、誰も気にすることなくこのブログは時を重ねている。しかし、おっさんにだって枯れつつあるもののチャレンジ精神ってのは残っているのだ。
神戸マラソンに当選したのである。コロナ禍明けに再開してから2回続けて走らせてもらっているものの、ずっとポシャり続けているにも関わらず、だ。
最初は足裏に巨大な水ぶくれを作ってしまった結果、その次はただの練習不足、「ミスター右肩下がり」がすっかり板についてしまっている。
でも諦めてはいない。
座右の銘は「デブでもサブ4」。
今シーズンのどこかのレースで達成したい。
なので、何とかして走る習慣を改めて、年寄りなりの走れる身体つくりを目指すと覚悟した。
ただ、今のおっさんは走れない。走れないったらありゃしない。
8月の海の日あたり、息子たちの草野球チームの試合を観に加古川線に乗って知らない野球場へ向かったときがあった。
加古川の駅で、1時間に1本くらい走っている加古川線に乗り換え、社(やしろ)で降りる。グーグルマップで調べると、球場までは2キロもないみたい。ゆっくりと走り出すも、ものの数百メートルで息が上がり、道が上り基調になったところで堪らず歩いてしまう。度の過ぎる夏の暑さは、どのくらい影響しているのだろう?いや、単に身体が弱ってしまっただけか?
結局、歩いたりジョグしたりを繰り返し、途中迷うこともなく目的地に到着する。
姿を見るのを楽しみにしていた孫のセイラちゃんは、暑すぎるので体調を崩してはいけないとのことで欠席していた。むさ苦しい兄さんたちの野球姿を観ながらお茶を濁す羽目になった。
勝手知ったる地元の姫路城でのラン。
脳ミソが、かつての練習ペースを記憶しているために、それを再現、継続できないのは、精神的にまあまあのストレスを感じながらの走りになる。毛根に良くない。
8月最後の日曜日の午前、一人で走ってみる。
暑さでもう無理。
キロ6分ペースが保てない。7分でも脈拍が下がらない。
かつてなら、わずかでも「わ~い、緑がきれいで涼しいわ。」とテンションがあがる、お城の西手にあるモミジの木々の下を走っても、ゲボ出そうな苦しさしかない。
結局6キロ半ほど走ったあたりで諦めた。
日々の暮らしの視座として、今の身体と気持ちを、かつての自分目線で捉えるのはまずい。
また、今の時点から変な「物語」を仕立てあげて自分を無駄に鼓舞するのは、もっとまずい。
「おっさんにマラソンを当てがってみた」記録と思索。
当面は、11月17日に行われる神戸マラソン2024に向けて、肝に銘じて記録を続けることにする。